「ベトナム語の動画教材を見せれば、それで雇入れ時教育は終わりですよね?」
こんな相談を受けることがあります。多言語化の第一歩として外国語版教材を準備した担当者が、次に直面する疑問です。正直なところ、答えは「要件を満たせば外国語のみでも法的に有効」です。とはいえ、要件の中身を誤解したまま進めると、監督署の指摘や訴訟で思わぬ代償を払うことになります。この記事では、法令の条文・厚生労働省の指針・2024年大阪地裁判決の3点を整理して、「外国語教材だけ」がどこまで通用するかを解説します。
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結論から整理する
外国語の教材のみで安全衛生教育を実施することは、条件を満たせば法的に有効です。「外国語版を渡せばOK」ではなく、本人確認・理解度確認・法定項目の網羅という3つの要件を同時に満たす必要があります。この3点が揃って初めて「実施した」と認められます。
労安法・施行規則に「安全衛生教育は日本語で」という規定はない
労働安全衛生法(以下「労安法」)第59条(雇入れ時・作業変更時の教育義務)も、労働安全衛生規則(以下「安衛則」)第35条(雇入れ時教育の8項目)も、「教育を日本語で行わなければならない」とは一切規定していません。条文が要求しているのは、定められた項目を定められた時間・方法で実施すること、それだけです。
言語について明確に方向性を示しているのは、厚生労働大臣の告示「外国人労働者の雇用管理の改善等に関して事業主が適切に対処するための指針」(平成19年告示第276号)です。
安全衛生教育を実施するに当たっては、当該外国人労働者の母国語等を用いる、視聴覚教材を用いる等、当該外国人労働者がその内容を確実に理解できる方法により行うこと。
「母国語等を用いる」「視聴覚教材を用いる」が「等」で並列されています。外国語での実施は合法であるだけでなく、指針が積極的に推奨する方法のひとつです。問われるのは「何語でやったか」ではなく「確実に理解できたか」という点です。
外国語教材のみで「有効」と認められる3要件
外国語版の教材を配布・視聴させれば終わり、とはなりません。3つの要件を満たす必要があります。
要件1:本人確認
誰が受講したかを特定できること。氏名・受講日・科目・所要時間・担当講師名を記録します。特別教育は安衛則第38条により3年間の保管が義務で、雇入れ時教育も実務上3年間保管が標準です。
要件2:理解度の確認
受講させただけでは足りません。内容を理解したかを確認するプロセスが必要です。修了テスト・口頭確認・作業の実演確認など方法は問いませんが、理解の証跡を記録として残すことが重要です。
要件3:法定項目の網羅
雇入れ時教育なら安衛則第35条の8項目、特別教育なら各業務の学科時間・内容を過不足なく実施すること。外国語版だからといって項目を省略できません。
この3要件が揃えば、外国語のみで安全衛生教育を完了することに法的な問題はありません。
2024年大阪地裁判決が示す「形式的実施」の危険性
ここがポイントなのですが、「教育記録がある=安全配慮義務を果たした」とはならない、という現実があります。
安全配慮義務とは、労働契約法第5条が定める「雇い主が働く人を危険から守る法的責任」のことです。
2024年7月31日、大阪地方裁判所はある金属加工会社の訴訟で事業者の安全配慮義務違反を認定しました。会社に安全教育の実施記録は存在していた。それでも、日本語のテキストを配布・説明しただけで、ベトナム語を母語とする労働者が理解していたかを確認していなかった——この点が「形式的な実施にすぎない」と判断されたのです。
率直に申し上げると、この判決は外国語教材を使う企業にも同様のリスクを示唆しています。外国語版の動画を流した、テキストを渡した。それだけで理解度の確認がなければ、同じ評価を受けかねません。「教育をやった」ではなく「理解させた」ことを証明できる記録が必要です。
参考:同判決については大阪産業保健総合支援センターの報告が参考になります(後掲「参考一次資料」参照)。
通訳・外国語教材・多言語eラーニング:選択肢ごとの強みと限界
実務上の選択肢は主に3つです。
選択肢A:通訳を同席させて実施
最も確実に「理解させた」を証明できます。質疑応答が双方向でできる点が強みです。一方で、通訳コストと手配の難しさが課題になります。安全衛生の専門用語を正確に訳せる通訳の確保も、実際には簡単ではありません。技能実習・育成就労外国人の受入れでは、監理団体のサポートが使えるケースもあります。
選択肢B:厚労省等が提供する外国語版テキスト・動画教材
厚生労働省や中央労働災害防止協会(中災防)が11言語対応の教材を無償提供しています。コストを抑えられる反面、理解度確認のプロセスを自社で設計・記録する必要があります。業種によっては内容が汎用的で、自社の実際の作業とのズレが生じることもあります。
選択肢C:多言語対応eラーニング
受講管理・本人確認・理解度確認(修了テスト)・記録保管をシステムで一括処理できます。令和5年12月27日付通達(基安計発1227第1号)により、eラーニングによる修了証のデジタル発行が公式に認められており、3要件をもっとも効率よく満たせる方法です。
監督署が現場で確認するポイント
現場の方ならご存知のとおり、定期監督では「書類があるか」よりも「労働者が内容を理解できる状態で教育が実施されたか」が確認されます。
受講記録はあっても理解度確認の記録がない場合は「教育の効果をどう確認しましたか」と問われます。日本語テキストのみを使用していた場合は「外国人労働者に内容が理解できる方法で実施していますか」という指摘につながります。外国語版教材の使用を積極的に示せれば、対応はスムーズになります。
使用した教材名・言語・版番号・受講者リストをひとつのファイルにまとめておく習慣が、監督署対応を大きく楽にします。
現実的な実施設計フロー
「何から手をつければいいかわからない」という声をよく聞きます。実はこれ、順番を決めてしまえばそれほど複雑ではありません。
まず採用時に、本人が理解できる言語を確認してください。複数の言語が混在する職場では、グループ別の実施か多言語対応教材の選定が現実的です。
教育実施時は、使用した教材名・言語・実施日・所要時間・担当者名を記録します。特別教育の場合は学科と実技の時間数を分けて記録することが求められます。
理解度確認は、テストの正答率や口頭確認の内容を記録に残してください。不合格者への再教育とその記録も必要です。
受講記録は特別教育で3年間、雇入れ時教育も実務上3年間保管が標準です。おおむね5年ごとの業務従事者教育(危険有害業務従事者向けの定期教育、労安法第60条の2)でも同様の記録を残します。
まとめ
労安法・安衛則には「日本語で安全衛生教育を実施せよ」という規定はありません。外国語教材のみでの実施は法的に有効です。とはいえ、本人確認・理解度確認・法定項目の網羅という3要件を満たすことが前提です。2024年の大阪地裁判決は、記録があっても理解の確認がなければ「形式的実施」と判断されるリスクを明確に示しました。外国語版を配った・見せたという事実だけに安心せず、理解を証明できる記録を整えることが求められます。多言語eラーニングはこの3要件をシステムで一括処理できるため、実務負荷を大きく下げながら要件を満たせます。
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よくある質問
Q. 外国語教材のみで特別教育を修了したとみなせますか?
はい、3要件を満たせば有効です。学科の時間数・法定項目を満たし、本人確認と理解度確認を実施・記録していれば、外国語のみの教材で特別教育の修了が認められます。監督署から確認を求められた際に提示できる記録を整えておくことが重要です。
Q. 通訳がいないと安全衛生教育はできませんか?
通訳は必須ではありません。外国語版の教材や多言語eラーニングを使えば、通訳なしで要件を満たした教育が実施できます。理解度確認の段階で、本人の言語で対応できる体制があると、理解の証拠をより確実に残せます。
Q. 日本語テキストを渡して「わかった?」と確認するだけでは不十分ですか?
不十分です。2024年大阪地裁判決が示したとおり、日本語テキストを渡して口頭確認しただけでは「確実に理解できる方法で実施した」とは認められません。外国語版の教材を使い、理解度を客観的に確認すること(修了テスト・実演等)が必要です。
Q. 外国語版教材はどこで入手できますか?
厚生労働省「外国人労働者の安全衛生管理」ページや中央労働災害防止協会(中災防)が、英語・中国語・ベトナム語・インドネシア語など11言語対応の教材を無償提供しています。業種・業務によっては内容が汎用的すぎる場合があるため、業務特化型のeラーニングサービスの活用も検討してください。
Q. eラーニングで発行した修了証は法的に有効ですか?
有効です。令和5年12月27日付通達(基安計発1227第1号)により、eラーニングによる修了証のデジタル発行が公式に認められています。紙の修了証と同等の効力を持ちます。



