「名簿にサインをもらっているだけで、本当にこれで問題ないのか」——安全衛生教育の記録を管理する担当者から、ときどき聞こえてくる声です。様式(ようしき:記録の書き方のフォーマット)が法令上ほぼ自由である分、かえって「何を、どう書けばいいのか」が見えにくい。この記事では、教育種別ごとの記録の書き方、外国人受講者が含まれる場合の追記事項、監督署調査や元請提出への対応まで、実際の記載例を交えて整理します。
様式は任意——ただし必須項目は決まっている
安全衛生教育の記録に、法令で定められた特定の様式はありません。自社で作成したエクセルでも、手書き名簿でも、eラーニングシステムが出力するログでも、どれも有効です。
ただし、特別教育(とくべつきょういく:労働安全衛生法〈以下、労安法〉第59条第3項に基づき、フォークリフト・足場・アーク溶接など危険・有害な業務に従事させる前に事業者が義務として実施する教育)だけは別です。労働安全衛生規則(以下、労安則)第38条が記録の作成と3年間の保存を明確に義務づけています。
事業者は、特別教育を行なつたときは、当該特別教育の受講者、科目等の記録を作成して、これを三年間保存しておかなければならない。
(労安則第38条)
この条文が適用されるのは特別教育だけです。雇入れ時教育・作業内容変更時教育・職長教育には、記録の作成・保存を命じる明文規定が別にはありません。とはいえ「規定がない=残さなくていい」は危険な解釈です。労働災害後の民事訴訟では、記録の有無が判断材料になることがあります。実務上は雇入れ時教育や職長教育も3年以上保管しておくのが標準です。
記録に必要な7項目と記載例
条文が定めるのは「受講者、科目等の記録」という最小限の表現だけです。監督署調査・元請監査の実務で求められるのは、以下の7項目です。
1. 実施年月日と時間帯 例:2026年9月15日(月)13:00〜15:30
2. 受講者の氏名と所属部署 例:阮ヴァン・アン(Nguyen Van An)、製造部 第2ライン
3. 受講者の署名または押印 本人が受講したことを確認する目的です。自筆署名があると、後日の証明力が上がります。外国語でのサインで問題ありません。
4. 教育の種別・対象業務名
例:特別教育「自由研削といしの取替え等の業務」(労安則第36条第1号)
雇入れ時教育の場合は「雇入れ時安全衛生教育(労安法第59条第1項)」と記載します。
5. 受講した科目名と時間数
特別教育は告示(安全衛生特別教育規程等)で定められた科目ごとに時間数を記録します。
例(自由研削といしの取替え等の業務/安全衛生特別教育規程第2条・学科4時間+実技2時間):
「自由研削用研削盤、自由研削用といし、取付け具等に関する知識 2時間」
「自由研削用といしの取付け方法及び試運転の方法に関する知識 1時間」
「関係法令 1時間」
「実技:自由研削用といしの取付け方法及び試運転の方法 2時間」
6. 講師の氏名 社内実施の場合は担当者の氏名と役職、外部委託の場合は機関名と講師名を記録します。
7. 実施場所 例:第2工場 教育室 / オンライン(Microsoft Teams 使用)
この7項目が揃っていれば、一般的な監督署調査や元請からの書類提出に対応できます。
外国人受講者がいる場合の追記3項目
日本語が第一言語でない受講者に対しては、通常の7項目に加えて以下を記録しておくことを強くすすめます。
a. 使用言語 例:ベトナム語版テキスト使用、講師説明は日本語
「本人が理解できる言語で実施したか」は安全配慮義務(あんぜんはいりょぎむ:会社が働く人を危険から守る法的責任)の観点から重要な記録です。2024年7月31日の大阪地方裁判所判決では、日本語の読解が十分でないベトナム人労働者がプレス機で被災した事案について、安全教育に使われた教材がいずれも日本語だけだったことなどを理由に安全配慮義務違反が認められ、会社に約1,000万円の損害賠償が命じられたと報じられています。なお、この判決の判決文はウェブ上で公表されておらず、本記事の記述は報道および関西労働者安全センターの報告に基づくものです。教育を実施した記録があることと、本人が理解できる形で伝えたことは、別々に評価されると考えておくのが安全です。
b. 通訳・翻訳対応の有無
例:通訳(ベトナム語):〇〇(社内スタッフ)が同席
または:通訳なし・ベトナム語テキストを個人で読んで受講
通訳が同席しない場合でも、その事実を正直に記録してください。後から「何もしなかった」とみなされるよりも、「外国語テキストを配布した」という事実が残ることの方が大切です。
c. 理解度確認テストの結果 例:筆記テスト 85点(合格ライン70点)/修了証発行
テスト結果を記録に添付しておくと、「理解した上で受講した」という証明の質が上がります。eラーニングを利用している場合は、システムが出力するスコアと受講ログが相当します。
教育種別ごとの記録のポイント
特別教育の場合 労安則第38条の法定義務があります。科目ごとの時間数を漏れなく記録し、3年間保存してください。アスベスト関連業務など健康被害が数十年後に出る業務については、永年保管を強くすすめます。記録を作成しなかった場合・3年以内に廃棄した場合は、労安法第103条第1項(書類の保存義務)違反として同法第120条第1号(50万円以下の罰金)の対象になる可能性があります。
雇入れ時教育・作業内容変更時教育の場合 記録の作成・保存を命じる明文規定はありません(労安法第59条第1項・第2項は実施義務のみを規定)。しかし労働災害発生後の訴訟では、教育実施の証拠として記録の有無が判断材料になります。7項目の様式で、実務上3年以上の保管を標準にしてください。
職長教育の場合 労安法第60条と労安則第40条2項が実施義務と科目・時間数(合計12時間以上)を定めています。記録の保存を命じる明文規定はありませんが、雇入れ時教育と同様、実務上は3年以上保管しておくのが一般的です。
元請・監督署への提出で押さえること
元請(もとうけ:建設業などで最上流の事業者)への提出は、元請が指定するフォーマットに合わせるのが基本です。「受講者氏名・業務名・受講日・科目・時間数・講師名」の6情報があれば、多くの元請フォームに記入できます。
監督署の立入調査では、「いつ・誰に・何を・どれくらい教えたか」を即座に提示できる状態が求められます。書類を出せないと、是正勧告の対象になることがあります。外国人受講者の記録は、使用言語の記録が特に確認されやすい点です。
まとめ
安全衛生教育の記録様式は法令上ほぼ自由ですが、7項目(実施日時・受講者氏名・署名・業務名・科目と時間数・講師名・場所)を押さえることが実務上の最低ラインです。外国人受講者には、使用言語・通訳対応の有無・理解度テストの結果を追記してください。特別教育は労安則第38条で3年保存が法定義務。その他の教育は明文規定がないものの、安全配慮義務の立証に備えて同等の記録を残すことをすすめます。
よくある質問
Q. 雇入れ時教育の記録に、決まった様式はありますか?
法令上は任意様式で問題ありません。実務上は特別教育と同じ7項目(実施日・受講者・署名・科目・時間数・講師・場所)を記録しておくと、監督署や元請からの問い合わせに対応しやすくなります。
Q. 外国人受講者に署名をもらう際、日本語の氏名でなければいけませんか?
いいえ。母国語やローマ字のサインで問題ありません。後の管理のために「Nguyen Van An(グエン・バン・アン)」のように日本語表記を注記しておくと便利です。
Q. eラーニングで実施した教育の記録はどう残せばよいですか?
システムが出力する受講ログ(受講者名・科目・受講時間・スコア・修了日時)をダウンロードして保存するのが基本です。PDF や CSV での出力が可能なシステムを選ぶと、監督署提出の際に対応しやすくなります。
Q. 通訳が同席せず外国語テキストだけ渡した場合、どう記録しますか?
「ベトナム語版テキスト使用、通訳なし」と正直に記録してください。それ自体が違法ではありませんが、「受講者が理解したか」を示す追加の根拠(理解度テスト結果など)を添えることが安全配慮義務の観点から重要です。
Q. 特別教育の記録を誤って廃棄してしまった場合はどうすればよいですか?
再現できる範囲で記録を作成し直し、「〇年〇月〇日 再作成(原本廃棄)」と注記します。完全な復元が難しい場合は廃棄の事実を文書化し、今後の管理体制の整備を優先してください。再廃棄を防ぐためにも、電子保管への移行を検討することをすすめます。
関連ガイド
参考一次資料
- 労働安全衛生規則 第38条(特別教育の記録保存・3年義務): https://laws.e-gov.go.jp/law/347M50002000032#Mp-At_38
- 労働安全衛生規則 第35条(雇入れ時教育の教育事項8項目): https://laws.e-gov.go.jp/law/347M50002000032#Mp-At_35
- 労働安全衛生規則 第40条2項(職長教育の科目と時間数): https://laws.e-gov.go.jp/law/347M50002000032#Mp-At_40
- 労働安全衛生法 第59条(雇入れ時教育・特別教育の実施義務): https://laws.e-gov.go.jp/law/347AC0000000057#Mp-At_59
- 労働安全衛生法 第60条(職長等の教育の実施義務): https://laws.e-gov.go.jp/law/347AC0000000057#Mp-At_60
- 労働安全衛生法 第103条第1項(書類の保存義務)・第120条第1号(罰則): https://laws.e-gov.go.jp/law/347AC0000000057#Mp-At_103
- 安全衛生特別教育規程(昭和47年労働省告示第92号)第2条: 自由研削といしの取替え等の業務の科目と時間: https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=74085000&dataType=0&pageNo=1
- 大阪地裁2024年7月31日判決の記述根拠(判決文は未公表。報道および関西労働者安全センターの報告に基づく): https://koshc.jp/archives/9625



